抱えているもの

 光が、眩しい。
 寝ぼけ眼に容赦なく照りつける陽に、月島はかなわず目をこすった。眼鏡を外すと、ぼやけた視界の中でも陽はここにあると空で主張する。気分はもう最悪だ。眼鏡を掛けなおし、不機嫌な顔をして下を向いた。
「ツッキー寝起き最悪だな!」
 がははと笑いながら田中は月島の背中を叩く。その威力の強さによろけそうになるのをなんとか踏みとどまる。
「……やめて下さいよ」
 迷惑そうな顔をするが、田中は常に月島の表情はそうだと思い込んでいるのであまり気にしない。
「今から試合なんだから、それまでには頭はっきりしとけよ! まぁ、そのぐらい余裕があるなら大丈夫か!」と、田中は隣で蒼白な顔をしている日向と見比べて言った。
「トイレ……行ってきます。俺、もうやばいんで……」
「おう! 行って来い!」
 日向の常に田中はもう慣れたのか、笑っている。日向は車酔いか、それとも今からの試合への緊張に気分を悪くしたか、それともどちらもか、いつも通りだ。
 太陽と田中の力で月島は目と耳をやられ、ゆらゆらと彷徨うようにしてその場から自然に離れた。
 月島達は練習試合をする為、烏野高校から離れていた。
 朝早くからバスに乗り移動してきた。一つの体育館を五つの学校で借りたらしい。場所は烏野から車で一時間半程度でつく、山に近い田舎の体育館だった。空気は青臭いような匂いがする。
 バスから降りると先生が軽く運転手に挨拶を始めた。ぺこぺこと上下に重りでもついているように、頭をよく下げている。地元の運転手らしく、会話が始まっている。それが終わるのを月島達は待っていた。
 ゆらゆらと漂いながら、一番静かな場所を目指し、そこに移動した。そこから田中を見ると、西ノ谷と騒ぎ始めている。朝から元気だなと、思った。頭の中に二人の騒ぎ声がちくちくと針になり刺されている。苛々するというよりは耳ざわりだった。
 ぼうっとした頭を確認するように、額に手をやった。ちくちくとした痛みを抑えた圧力で消してしまいたかった。
 隣に誰かがいる。移動した際には気付いていたが、顔までは確認していなかった。用心するように、横に目をやった。
「お前か……」額に置いていた手を離し、体全体が脱力した。
「俺は気付いてたぞ。お前がここに来ている時から」
 影山は堂々と腕を組んで、バスに寄り掛っていた。
「そうなんだ。僕のこと威嚇しているのかもしれないけど、生憎それに乗ってあげるほど僕の気力はないんだよ。見ての通り分かるでしょ?」月島は大きな欠伸をした。
「相変わらず寝起き悪いな。それなら寝らなきゃいいだろうが」
「こんな山ばっかり見ていると、眠たくもなるよ。僕はもう中に入りたい。まだ話終わらないのかな」月島は確認するが、近くに行かないと状況は読めない。そうする気力は無かった。
「もう少しここにいる。君の近くなら五月蠅いのこないでしょ?」
「日向がいる」影山はそう言うと、日向の場所を確認したが、目線が泳ぐ。「ん?」と疑問を浮かべた。
「あいつはトイレ。真っ先に走って行ったよ。ああ、もしかしたらこれ日向のトイレ待ちもあるのかもしれないね。毎度毎度本当に……」愚痴をこぼそうと思ったが。大量に浮かんできた言葉が纏まらず、纏めるのも面倒になり言葉はそこで終わる。
「試合までには切り替えとけよ。練習だからって油断すんな」
「分かってるよ」
 月島は暇つぶしに辺りを確認した。バスが土で出来た安易な駐車場に一定の間隔を開けて止まっている。自分達を含め五チームほど来ているらしい。目の前にあるバスの学校は名前も知らない。
「君、あの学校とか知ってたりするの?」月島は顎を動かし、目の前のバスを指して聞いた。
「知らね」影山は名前を見ると、考えるまでもなく言った。
 真新しくもないバスは、陽に直接当たり、暑そうにじっと堪えているようにも見えた。

 今回、来ているチームはどれも知らない学校だった。だからといって油断は当然しなかった。名前は知らないとはいえ、各チームには学べるところがあった。今後、強くなってくるぞと思わせる匂いを振りまいている。
 弱いチームもいた。そこには圧勝で勝つことが出来た。だが、そのチームは最後まで気を緩めなかった。こちらもそれに応じて、正々堂々と勝負した。
 月島はそのチームの一人が、やけに影山を睨んでいたことに気付いた。別段、声を掛けるわけでもない。背番号を見る限り一年だ。知り合いかな? と思ったが、影山が気付いた様子は無かった。
 その一年は明らかに、メンバーと違った想いでその場に立っている。眉の凄みが、怒っているように見えた。また因縁でも付けられたのだろうか。当の本人が知らない内に。
 プシュッ
 お昼の休憩を与えられた。自動販売機で缶ジュースを買って、開ける。炭酸ではないが、爽快な音がした。
 散歩がてら、体育館に隣接している施設まできた。田舎のせいか、受付以外の人はいない。入っても、その人は月島に気付き一瞥したが、すぐに仕事に戻った。声が掛けられるまでは関係ないと思っているのだろう。気だるそうにやっていたのが、表情に出ていた。
 灰色をしたタイルの床は足音がよく響いた。体育館よりはこちらの方が涼しい。冷房をかけているわけではなさそうだが、雰囲気がまたそう感じさせる。こちら側は陽の辺りが悪いせいか、薄暗い。仄かな照明がその中で、僅かな距離を照らしている。まだ陽が出ているので、メインの大きな照明を消しているのだろう。自動販売機も小銭を入れるまでは、節電中とかかれていた。小銭を入れた瞬間にパッと気付いたように、必要性の無いほど明るくなった。ここにいる人達はあまり利用しないのだろうか。受付だけ、照明も全て付け、この自販機のように明るかった。声を掛けると、気だるそうな顔をしていたのが一変するのだろう。
 足音が聞こえてきた。タイルのせいか、遠くの足音がこちらまで波紋を広げる。耳を澄ますと、一人では無さそうだ。話声が聞こえる。月島はとっさに自動販売機の後ろにある、壁を一枚挟み上に続く階段へと身をひそめた。聞き耳をたてると、二人組だということが分かった。片方は強く話しかけ、もう片方は静かに声を返してきた。他校のチームだろうか。それにしては聞いたことがある声にも思える。階段に腰をかけ、様子をみることにした。
「お前、そもそも俺のことを覚えてるのかよ」
力強い方が話した。二人は自動販売機の前で足を止めた。言葉がはっきりと聞こえる。月島は缶ジュースを一口飲み、横に置いた。
「話したことは無かったけど覚えてる。最後まで正レギュラーになれなかった奴」声は落ち着き、静かながらも、こちらは挑発する余裕はあるらしい。もう一人の方が余裕の無いように感じる。
「お前は最後まで俺達のことを、そうとしか思わなかったんだな。弱い奴は関係がないと無視してよ」
「お前が俺に今怒ってんのはなんでだ? もうチームも変わり、関係ないはずだろ?」
「お前が馬鹿なのは変わってないな。馬鹿すぎて、人の気持ちなんかくみ取ることも知らねぇ!」
 無意識に挑発してるのか? 月島はそんな馬鹿が気になり、立ちあがって、壁に沿って二人が誰なのかを確認した。壁は冷えていて気持ちがいい。
 あ、と二人を確認して思わず口が開いた。その一人は自分が知っている馬鹿だったからだ。馬鹿は馬鹿でもたちの悪い方の馬鹿だ。
 影山がそこにいた。横顔が見える。もう一人の方は先ほどの影山を睨んでいた選手だ。
「さっきの試合だって、ボロ負けした俺達のことを見下していたんだろ? 俺にお似合いのチームだとか思ったんじゃねぇのかよ。俺達だってな、弱くたって必死にやってんだよ……」
 よく喋るなぁ。声がどんどん大きくなってる。会話の内容が負け犬の遠吠えみたいで恰好悪い。止まらない言葉にあまり耳を通さず影山の様子を見る。変化が無いのだろうか。
 影山は相対にまっすぐと見ていた。会話の中身だけを頭にインプットして、相手の感情には左右されてはいないようだ。
 言いたいことだけを言って、話す内容が無くなったのか、黙った。お前も何か言えよと、反撃に備え、睨んで待ち構えている。
「お前が俺に何を思っても構いやしねぇ。でも俺は昔からいつでも正々堂々やってきたつもりだ。舐めてきたつもりはねぇよ。お前が俺のことをそう思うのは、自分のチームに誇りを持ってないんじゃねーのか。自分でけなして、自分守ってんじゃねーよ」
 影山は静寂の中、自分の空間をぐるぐると手を離せば勝手に回っているように造り上げ、先ほどの雰囲気を飲み込んだ。淡々と話す様に変わらない意思を感じる。怒りを急激な温度で下げられ、みっともないと第三者の目で見ているような気分にさせされる。嘲笑って、指をさして。それが自分なのだ。それも自分の癖に、こんなことをしている。
 その一人の怒りの目は魂が抜けたようになっている。自分の進む方向性がうまく纏まらないのだろう。言葉を出す気力も無さそうだ。
 飲まれちゃったな。とストレートにぶつけられたことを少し同情した。嘘も偽りもない言葉って、傷つけるよね。
 月島はその場で足踏みをして、誰かがこちらに寄ってきている風に、足音を響かせた。その一人は表情をハッと気付いたように元に戻すと、顔に苦渋を浮かべて、それを悟られまいと、影山に背を向け、歩いていった。影山はそこに立ったままだった。
 月島が近づくと、影山は一瞥して「お前かよ」と平静で言った。
「さっきのは?」
「中学の同級生」
「ああ。道理で」君を睨んでいたはずだと思ったが、言葉にはしない。影山の目は過去を連想しているのか侘しさを浮かべていた。彼がここに戻ってくるのはいつになるのだろうか、と思う。彼は前を向いて進もうとしているのに、過去に戻るものが身近過ぎた。
 今の君は、過去の君なのかい? と易々と言ってしまえれば君を救うことが出来るのだろうか。頭の中はどれも役に立ちそうにない安っぽい言葉で埋め尽くされる。手に持った缶の冷たさでは、手先の熱を奪っているのに、頭の中の靄までははっきりとしてくれ無かった。

 影山はボールに触れると落ち着くのか、掌で転がしていた。手先まで流し、今度は腕の方に戻す。それを二、三度繰り返している。
 あれから試合はあったが、特に影山には変化が無かった。こちらが凝らして見ていても、変わりがないので見る気も無くなって途中から月島の気も逸れた。なんてことないことだったのかもしれない。そう思い始めた。
 目の前の試合が終われば今日の合同練習は終了だ。その試合に先ほどの一年生が出ていた。目がぎらぎらとしている。影山が突き刺すような目付きだとしたら、こちらは食い込んでいくような
「昔からあんな風だったわけ?」と月島は隣にいる影山に聞いた。「敵意が剥きだしなの丸わかりじゃん」
「いいや。あんなことは無かったな。というか……あまり覚えてない」真面目な顔で馬鹿なことを言っていると思った。
「それが敵をつくる理由なんだと思うけど」月島がそう言うと、認めているのか言葉を返さなかった。
 躍起になっているのが分かる。試合はどんどん点数を取られていっている。一年生は表情が豊かで傷ついた顔や怒りをすぐに浮かべ、点数を入れたら笑った。が、影山達がコートの周辺で見ていることを見つけるとすぐに表情を正した。自分のことなど何も見せたくないように。
 もうすぐ試合が終わりそうだと他のチームも集まってきた。その試合の観覧客は一斉に増え、緊張を誘う。
 試合の点数はあと一点取られれば終了という形になっている。ぎらぎらとした目は今も変わりない。
 人はコートの周りを囲んでいる。全員その試合を見ている。心中はその試合について考えているのだろう。瞳が揺れることなくしっかりとしている。これが同じスポーツをしているもの達が集るということか。ひどくプレッシャーになる。
 負けている一年生の方にチャンスボールが飛んだ。これを入れなければ得点は難しいだろう。ふんわりと湾曲に落ちてくる。力無くボールに意思は見られない。ここで打たなければと誰もが思っただろう。もしも、ブロックされても、ここでやらないと……。
 だが一年生は周りからかかる沢山の目のプレッシャーにやられたのか動こうとしない。迷っている。ぎらぎらとした目はいまや怯えるような微かな揺れに変わっていた。後ろから先輩だと思える体格のいいチームメイトが一歩遅れてやってきた。タイミングがずれたなと月島は思った。手先だけで打ったボールは低い角度でネットに掛り、弱く落ちた。
 すぐに笛が鳴った。今の出来事を整理しようとも時間が許されない。真ん中に集めらされ、点数を言われ、負けを宣言された。
「今のボールだけで、あの子がどういう子っていうのがすぐに分かったよ」月島はがっかりした声で言った。影山は何も言及しなかった。

 あれから会話なんてしてないんだろうな。と月島は隣で寝ている影山を見て思った。帰りのバスは人数がこんなに乗っているとは思えないほど静かだった。
 あの練習場から離れる時に見た一台のバスを思い出す。続々と返っていく中、あの学校だけは帰る様子もなくバスの中でミーティングをしていたのが、窓から見えた。コーチが一番前に立って、それを全員見つめていた。あのミスをした一年生は目に入らなかったけれど、まっすぐ見つめられていたのだろうか。
 その一台を残して駐車場を回りながら出て行った。広い駐車場に一台のバスだけが真ん中に停まっていた。土の駐車場には沢山の車の走った痕が残されていた。ほとんど今日のバスなんだろう。静かすぎるこの場所に毎日出入りする車なんてそういないはずだ。そうじゃなければ電球の細工も自販機の節電も必要ない。ぽつりと残ったバスには、何故かここの雰囲気が妙に合っていた。

 今日、来てよ。と疲労して皆の表情が眠気にやられている中、帰り際に影山に静かに言った。簡単なミーティングを学校で済ました際だった。
 影山も当然疲れ切った顔をしていた。いつも以上に顔は曇っていた。目付きの鋭さはいつも以上だったが、怒っているのかは分からない。影山は見ての通りだと、疲れていると断った。
「知ってる。僕も疲れているし」
 なら今日を特別として行く必要はないんじゃないかと、表情に疑問を浮かべたが、月島が差し迫っているのに観念して、仕方ないと諦めた。面倒なのを思い切り態度に出すように、大きなため息を一つ吐いた。
 影山はベッドにもたれかかっている。風呂を貸した後、髪をちゃんと乾かさなかったのだろう。髪から露がいくつか落ちそうだ。人の部屋だというのに気にはしていないようだ。疲労に身も心も寄せ、何も考えてはいないようだ。
 月島はタオルで髪を拭きながら部屋に戻った。今の影山よりも水分はしっかりと吸収されている。きちんと拭きさえもせず、クーラーに当たっている。風当たりが一番いい場所だ。気持ちがいいのだろう。
「風邪引くよ」
「おう」生返事をして動かない。
「君、乾かしてないでしょ」
「熱かったから。このまま当たっとけば乾く」
「だから、それが風邪引くって言ってんの」
 月島は影山の前にいき、首筋に触れてみた。冷たくなっている。露が落ち、支えていた月島の手に落ちる。とても冷たくて驚いた。影山を抱え込むように抱きしめてみる。彼は疲労に身を任せている為か動かない。
「……君、冷たいね」
 風呂上がりで火照っている月島はひんやりとした影山が気持ち良かった。体中の熱を吸い込んでいくようで、身をまかせた。月島も疲労が後押ししていたのかもしれない。こんなにちゃんと抱きあうことなんてそう無いことだった。
 月島は影山の唇に一度軽いキスをした。影山は目を瞑っていたので、瞼が少し揺れた。
「眠たいの?」
「ああ」
「風邪引くよ?」
「ああ」
 風邪を引いてもこのまま身を寄せ合っていたかった。二人の熱は段々と冷たくなっていたけれど、わずかながらにある熱が心強くて、二人を支えているものとなった。
「君はひとりじゃない」心細くなってそう言ってみる。
「今はそうじゃないって分かってる。気にしすぎだ」
 そう影山が言っても、あの一年生が酷く頭の中にちらついていた。彼のように影山を憎んでいる人間は沢山いるのだろう。逆恨みをし、押しつける。彼らの中で影山は都合よく修正される。
 それでもそれを抱えて生きるのは影山ただ一人だ。
「寒くなってきた。暖めろよ」
「疲れてるんでしょ?」
「だから、お前が好き勝手やっていい。俺は動けないから」
「それって、つまらないじゃん」
「じゃあ、寝かせてくれ。ごちゃごちゃ考えるより、今は眠たい」影山は再び月島に寄り掛る。
「髪だけ乾かせたらね」と半分夢心地の影山に言った。
 彼が月島に寄り掛ることは少しでも自分のことを必要としているからか? と考える。
 そうであれば、嬉しいのだけど。

《了》

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