目の前(後篇)

「どうした? 急に」
 玄関の扉を開けると、真ちゃんがいつも通りの仏頂面で、立っていた。
「中入る?」
「いや、いい。お前、体調はどうだ?」
「あぁ、大丈夫。落ち着いた。あの時だけだったみたいだ。家帰って横になってしばらくしたら、良くなったよ」
「そうか。それは良かった。なら少し、歩かないか?」
「ん?いいけど。ちょっと待ってて、母さんに言ってくるから」
「分かった」
 俺は母さんに外に出てくる、と伝えに中に入った。食事の支度をしている母さんに伝えると、調子が悪かったって言ったじゃない、と怪訝な顔して言ってきた。大丈夫だから、と適当に言いくるめて家から出た。夕飯の香りが部屋に充満していた。
 部屋では、言えない話なのだろうか。話が無いのに、歩かないかなんて言うわけがない。
 目的地も無いまま、俺達は歩き出した。帰宅していると思われる車が、何台も横を通り抜けている。もう夜だ。星の無い空が上にはあった。
「真ちゃん、よかったら晩御飯食べてく?」
「いい」
「うちの母さんの手料理結構旨いのよ」
「知っている」
 歩こうか、なんて言っておきながら、何も話を掛けてこない。こちらが話題を振っても、答える気がない。いつも以上に返事が簡素だ。多分、真ちゃんが話したい内容に、掠りもしていないのだろう。真ちゃんは俺に、何かを聞きたいはずだ。それは分かる。
 歩き出して結構進んだ。そのせいか、徐々に俺は今なら何を言われても、冷静に返せるような落ち着きが出てきた。感情が半分くらい、夜の闇に吸い込まれたようだ。
 真ちゃんもそうだったのか、ようやく話しだした。無言の中に、急に言葉が現れたせいか、俺の返事も、さきほどの真ちゃんみたいになっていた。
「お前の様子がおかしいのは、俺のせいか?」
「違うよ」
「最近、様子がおかしいのは気づいていた。けれど、お前自身の問題だろうし、触れて欲しくないと思っていたから、何も聞かなかった」
「そうなんだ」
「聞きたいことがある」
「ほんとさ、真ちゃんまで迷惑掛ける気は無かったぜ? 悪いな。大丈夫だから」
 自分が発した言葉に重りがまるでない。大根役者のようだ。これじゃ、気にしてくれと言っているもんじゃないか。
「高尾」
 細かいことを一度全部、ぶった切るように真ちゃんは俺の名前を呼んだ。
「お前は俺のことを、どう思っている?」
「どうって、いいパートナーだと思ってるぜ?」
「そうか」
「真ちゃんはさ、俺がどう思っていると思ってたの?」
「俺は、お前が俺のことを好きだと思っていたのだよ」
「そっかぁ……」
 俺は止まる。真ちゃんもそれに気づいて止まる。
「いつから、そう思ってた?」
「薄々とは前から感じていたが、これは俺の思い違いだと思っていた。男同士だし、お前は結構誰とでも触れ合ったりするからな。けれどお前は、俺と居る時だけ、辛い顔を一瞬だけ見せる時があるのだよ。お前も意識してないような時だ」
「なんでそれなのに、真ちゃんは気づいたの?」
「お前が思っているほど、お前に興味が無いわけじゃない」
「そうなんだ。それはありがたいな」
「お前を傷つけたいわけじゃない。ただ、これから俺が問題となって、お前が前に進めないのは、お前にとって良くないことだと思うのだよ」
 さっき言った、パートナーっていう答えを信じていない口振りだ。まぁ、当たってはいるんだけど。
「俺は、真ちゃんのこと、好きなのかもしれない。けど、そうじゃないように、しないといけないことも分かってる。常識とかもよーく理解した上でさ、この気持ちはいらないもんだと思ってるよ。どうにかして抑え込むからさ……」
 離れないで、と言えない。気づいたからといって、距離をとってほしくない。けれど離れないでなんて言えるのは、それこそ恋人同士だから言えるもんだろ? 今の俺には真ちゃんの、何一つ権限を持つことができやしない。
「俺は、お前のことを、差別などするつもりはないのだよ」
 そんなことを言っても、知ってしまったからには、変わらないことなんてない。思わないことなんてない。意識をしないはずがない。それが距離だ。
「お前にただ辛い顔をして欲しくない。お前が意識してない内に潜んでいるものを、救い出したい。お前も見ようとしろ。本当の自分は何を言っているか耳を傾けろ」
 もう一人の自分。真ちゃんに重なり、真っ直ぐに俺を見据えていた。目を合わせることが、出来なかったのは、認めたくなかったのかもしれない。こんな自分が、許せなかった。
 誰よりも、人というものを理解していたはずなのに、人が一番嫌う、外れるものになっていたことが不安を過らせる結果となった。
 きっと胸が痛くなるのは、意識している罪悪感に違いない。
「本当のこと言っていい?」
「ああ」
「俺、真ちゃんのこと、好きなんだ」
 そこに立ち尽くしていた。俺の頭の中は、真っ白で、胸はやっぱり締め付けられていた。けれど、その痛みは甘噛みようで、なぜか心地が良かった。
 もう一人の自分は納得したのだろうか。
 今、俺は立っている、立ち尽くしているが、そこに立っている。逃げてはいない。顔を上げた。真ちゃんは俺を見据えている。俺はそらさない。
 俺自身はここにいる。

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