そこに有ったものが突如と無くなった。
それは最初から限りなく続くものではないと分かっていたが、そう知りつつも無くなるとやはり淋しい。
なにか物足りない気がする。
だからといって代用をみつけてきて、元にあったものを埋めようとしてもやはりそれは違う。
だけどそんなことを言っていたら、その場から動けなくなってしまうだろうから、人間は代わりのものにわざと納得して、そして慣れて忘れてしまうのだろう。
卒業をしてもうすぐ一週間が経とうとしていた。
仁王は大学に入る際、思い立って一人暮らしをしようと決めた。
特に反対もされず、いい経験ではないかと親にも言われ、それはすんなりと両諾を得ることが出来た。
物件も大学の近くで料金的にもこんなもんかという値段だった。通う大学の場所があまり都心ではないので料金もその程度だった。
空気が綺麗な場所だった。窓を開けると緑が見える。自然に囲まれていて、虫の音も鳥のさえずりも聞こえる。
今まで聞こえていた車の音がほとんどしない。
荷物はあまり持ってこなかった。どれもこれも必要性があるかと自分に問うと、無いものだと即答できるガラクタばかりだったからである。
部屋はベッドが一つ置かれるだけでほとんどスペースが無くなった。あまり置き場所がないと分かれば更に持ってくるものが少なくなる。必要になればまた買えばいい。
最低限のものさえあればなんとかなる。なぜか楽観的に考えることが出来た。知らずの内に新しい環境に期待を膨らませているのだろうか。
そして今まで有ったものを無かったようにして、区切りをつけることが出来ることを少しばかり願っている。はっきりとそう思っているわけではないが、自然とそう思っているのだろう。だから嬉しいのだ。
今まで醜かった自分を消して、変われると思っているのだから。どうせまた繰り返すのを承知で。
春休みの間は自宅でゆっくり過ごすことに決めた。
アルバイトは大学に入ってから決めよう。焦る必要は無い。金遣いは荒い方ではないので金銭面での余裕は有る。
ベッドに横たわりながら携帯の画面を見た。
時間は夜八時過ぎ。
何にもやることなど無いのだからいっそもう寝てしまおうと思う。今は何からも縛られてないのだから好き勝手に出来る。大学が始まったら忙しくなるのだろう。それまでは好きな様にしても罰は当たらない。
そう思いながら電気も消さずに目を閉じてそのまま少し居眠りをしようとした。
だが意識が吸い込まれようとした瞬間に、耳元に有る携帯がブルブルと震えだした。その振動でパッと目が覚める。
普段からマナーモードに設定しているおかげでその程度ですんだが、もしもそれを解除していたらと思うと少し恐ろしい。
画面を見ると着信の文字。
【丸井ブン太】
目が見開く。
今まで捨てたものがもう一度目の前に集められていく感覚に陥る。出なければいけないのだが、いっそ無視をしてしまおうかと考えた。いやだがそんなことをしても、どうせまたこちらから連絡を取らなければいけない。
ぐだぐだしている内に電話が切れてしまいそうになったので、とりあえず出てみた。
「もしもし……。」
「おっせぇよ!早く出ろ!俺の電話はワンコールで出ろ!」
電話越しから聞こえる騒音と、いつも以上のテンションでこれは飲み会をしていると予想出来た。
「どしたん?ブン太飲んどる?」
「そうそう。赤也とジャッカルもいるぜ。お前も来いよ」
「俺も?今から?俺んち、そこまで行くの多分一時間ぐらいかかるわ」
「いいだろ来いよ。そのまま俺んち泊まればいいし」
「ん?ブン太も一人暮らし始めたん?」
「おう、始めた。あ、店は駅の目の前のとこだから。じゃあな」
忙しなくそう言って電話が切られる。
「はぁ〜」
大きなため息が出た。今から向かうのがとんでもなく面倒だ。だが向かわなければ電話が何度も掛かってくるだろう。酔っているブン太はタチが悪い。ジャッカルと赤也はその犠牲になっているのだと思ったら同情する。
ベッドから起き上がり背伸びをして切り替え、自分に気合を入れる。
ブン太の家に泊まるということは、ベロンベロンに酔ったブン太を二人に押し付けられると言うことだ。
今から向かうまでにはそこまで酔っていなければいいのだが、先ほどの様子じゃ手遅れかもしれない。
気が進まないのでだらだらと準備を始めた。
けれどそこまで酔っているならば自分が気にしていたことに触れられずに済むと思うと、先ほどの緊張は溶けた。
鏡を見ると夜なのに寝ぼけている様な顔をしていた。