遠く





 

どこか遠い所に行きたいと先輩は無意識に呟いた。
 お互い行為を終わらせた間近だったので、息を忙しげに吐いたり吸ったりを繰り返している最中で、唐突に浮かんだ言葉なのだろうと思う。
「どこに行きたいんスか?」
「どこでもいい。何も気にせず、ゆっくり出来るならさ」
「行きたいなー。俺も先輩と」
「はは、お前も来るの?」
 丸井先輩はおかしそうに笑うから、俺は不機嫌になる。
 するとそんな俺に宥めるかのように、嘘だ、来てもいいと言った。
「一人で行っても楽しくなんかないよ」
「楽しくなんかはないだろうな」
 それでも行ってみたいんだよ。と後から聞こえるような気がした。
 それなら隣町でも行けばいいと思ったけど、先輩が言っているどこかはこの現実じゃなくてもっと知らない世界を示している。
 じゃないと、俺をどこかになんて連れて行ってくれないだろう?
「先輩、もっと具体的にさ、言ってみて下さいよ」
 どうせ、どうにもなるわけないのなら、とことんその夢物語に付き合ってやろう、そう思った。
 先輩はうーんと唸りながら考える。
「菓子がいっぱいあって、テニス出来る所」
「それから?」
「後……」
 言葉に詰まる。
 先輩が望んでいるものはたったそれっぽっちか。
「そんだけなら、ここでも叶うじゃん」
「叶うけど、やっぱりちげぇよ」
 何が違うのだろう。それは一番最初に言った、ゆっくり出来る所にここは含まれていないということなのだろうか。
「でもやっぱどこに行っても俺は俺な気がするな」
「そりゃ先輩は先輩ですからね」
「俺は俺だもんな」
 寂しげに言う。誰も先輩は先輩であっていけないとは一言も言ってないというのに。
 その言葉が最後にこの話は終わってしまった。それ以来、先輩がこの話を持ちかけることもないし、俺が言うこともない。
 それだけのものだったのだ。
 俺は先輩が望んだ、単純な望みより先輩が最後に言った自分は自分でしかないという言葉ばかり頭の中に巡らせていた。
 そうだよ、自分でしかいられないから悔しいし、悲しいし、非力だ。
 だけどやっぱ、先輩が自分でしかいられないと言うけれど、それを欠けてしまったなら先輩であることを欠けさせている気がして、先輩が不満だと思っている自分に俺は少なからず惹かれていて、そんな俺は最低なんだろう。
 傷付いている先輩も含めて好きになったなんて、それは先輩自身を好きになったこととは違うのだろうか。






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