Specially 

 例えば丸井先輩が持っている独特な雰囲気は、周囲に悟られない様に出来ているものだとしたら、それを知る俺は特別なもので、隣をただ通りすぎる他人などより遥かに上の立場のはずだ。そう落魄れてもいい。
唇から零れる体液が先輩の物ならば酷く綺麗なものに見えるのは、赤の他人の良がる姿よりも魅力的で新鮮だからだとしか表現の仕様が無い。そう思うのは俺がこれらの経験をしていないせいではないと思う。
 この人は存在する場所から明らかに浮いている。
 何故なら、赤毛という第一印象を抽象的に捉えられず、認められない人間が皮肉にも避けているからだ。なので、初対面の人間の大半は傍に寄ることは無い。
一般的に赤という色は、目立ちすぎる故に馴染むことがなかなか無く、孤立していると思う。それはまさしく丸井先輩そのものだ。
 集団の中に埋もれていても他の色と混じることは無く、どこにいても瞬時に発見できるのは俺にとって楽であり、その孤立というものは案外便利だと思っていた。だが、そう思っているのが俺以外にもいると理解した時は、俺が先輩の特別であるはずなのにそうでない様に感じた。

 しかし、よくよく考えてみれば、丸井先輩には特定という人がテニス部以外にいない。丸井先輩にとっての何かと、俺にとっての他人のじゃれ合いを見て納得した。孤立しているということは、誰からも束縛されていないということだ。だから一人になりたくない人間が傍に寄るのは容易く、自分は一人では無いことを周囲に知らせているのだと考え付いた。ならば周りにいる俺にとっての他人は、どう考えても先輩にとっての他人でもあるに決まっている。笑い顔に皮肉にも優しさが伴っていないのが何よりの証拠だ。とても哀れで悲しい人達はその含まれない優しさなど気にせずに上辺だけで、形だけを必要としている。
 俺はやっぱり先輩にとっての特別でしか無いのだろう。形だけを繕っている笑い方が、俺の前だと随分と変わることを俺は知っている。意味など一つも有りもしない笑顔だってことも俺は分かっている。 
 だから、そんなくだらない笑顔を振りまくな。
 特別は秘密、そう心に浮かんできた途端に何故か乾いた笑いが出た。その声など聞こえやしないのだろう。俺にとっての他人達の声に揉み消されていったことが自分でも分かった。

 丸井先輩は存在していい場所などないということを自ら言っていた。あまりに殺伐に言ったものだから、「へえ」と聞き流すようにしか俺は反応の取り方が出来なかった。それを話題にすることで話が弾むわけでもないし、それが俺にとってその程度のものでしかなかったので、対応は間違ってなどなかったと今でも思っている。
 先輩がそういう風に誰かより不憫だとか、自分を哀れんで欲しいと言うことは極端に少ない。いや、あれが最初で最後かもしれない。
 もしもそれを言ったのが、今の俺の身内の人間だとしたら、俺はきっとその人間のことをただ自嘲している可笑しな人間だと思うだろう。自嘲する人間は目が死んでいて好きではない、というか自分が必要されていないと、そんな分かりきったことを何度も繰り返し、勝手に堕ちていく姿が馬鹿馬鹿しく嫌いだ。
 必要など誰もされては無い、利用というもの以外の必要など有るわけが無い。そういう考え方な俺だから、俺の周りにはそんな人間を近づけない様にしていた。だから丸井先輩がそういうことを言ったのは心外だった。先輩も俺と同じ様に考えていると思ったから。
 だが丸井先輩は俺が思っている人間とは違ったようだ。確かに居場所は無いとは言ったがそれは自嘲している人間のようではなく、それでいいのだと自分を認めているようだった。今までのことを恥じてはないようで、自分が決めた枠の中に収められている。
 例えば他人が丸井先輩を知り、それを馬鹿だと罵ったとしても先輩は平静な顔をしているだろう。それは先輩の枠の中であり、そうなることを前提にした様な考え方であるから、先輩は動揺などしない、心を取り乱したりなどそんなことは絶対にしないのだ。
 その薄く張られた先輩の心の氷の奥には何があるのだろう。中からの熱が自分というプライドを溶かしているのか、それともただの自嘲気味の人間が薄くつまらない、いつ割れても仕方がないただの見栄を守っているのだろうか。
 誰よりも自分を見せようとはしない先輩を暴きながら、同時に俺は先輩の特別へと近づいていく。

 俺達は薄暗い部屋の中で体を共有していることが多い。明りというものは身体を重ね終えた後に必要にするぐらいで、俺達が訪れる頃は意味など無い。その薄暗さは別世界に見える。明かりから隔離された世界は、酷く侘しさや欲望が沸き立ちやすく、部屋に入ると同時に俺はその薄暗さに高揚し、先輩にキスを仕掛け、卑劣な音を立てながら先輩の息が出来ないほどに貪る。決して綺麗なものではない。本能のまま動く様はまさしく動物だ。
 俺達は気にせず体を舐め合い、お互いの体に手を滑らせ、求め合う為に邪魔な服などすぐに投げ捨て、排出の為だけの行為を行う。    
 何度この行為を行ったのか数えてはいないが、俺が男の体を抱くのに随分と慣れてしまったと思うのだから、幾重もしているはずだ。だが、それでも俺達は足りないと、時間が経っていることを忘れさせるほど抱き合い、空気が徐々に澱みに変わっていることなど気にせずお互いの体を求め合った。
「赤也…」
 名前を呼ばれて気付くと、行為が終わっても先輩の中から出ていかないことに対しての不満で呼ばれたのだと理解した。不機嫌そうにしてはいないが、どこか冷めているようで、俺が中にいることが気に入らないらしい。俺は仕方なく先輩の中から出ると、先輩はうつ伏せになって少し荒い呼吸を繰り返していき、俺達の繋いでいた場所からは赤い血がポタポタと垂れてシーツに染み込んでいた。
 辛いのならば言えばいいのに、と毎回思う。
 この行為が排出の為と快感を求める為だけのものだとしたら、俺は如何に早く排出するかと強い快感を求めることしか行為の最中は考えない。だが、俺は先輩をその道具の様な価値だとは思っていないし、先輩の体の限界を考えてする余裕も僅かだがある。
 けれど先輩は俺がそうすることを拒んだ。壊してと言わんばかりに先輩は「もっと」と何度も俺を求める。俺はその甘い科白に乗って、先輩を力強く抱く。痛みも快感に変わっている様に先輩の声からは艶があり、痛みのせいで澱んでいる様子はなかった。だから俺は痛みを感じているとは知るわけもなく、自分勝手に抱いてしまう。先輩が艶のある声を出すかぎり、俺は先輩を好き勝手にしてしまうのだろう。 それを先輩のせいだと決めつけて、自分は難を逃れようとしているみたいに、俺はその「もっと」と急かれた時に承知のキスをする。求められたからそうしたと、逃げ道を作っているみたいで情けないが、そうでなければ俺は先輩の辛い顔を見る度にこの行為を止めようと思ってしまう。 
 自分が一歩的に傷つけている様は、テニスの時と同じかもしれない。目は充血していないが、その時と同じ感覚に近いものがある。ボールを相手に当てた時と同じ様に、先輩を強く抱きしめると心臓がドクッと普段より大きい音を出す。先輩は明らかに痛いはずなのに、その痛みさえ有無を言わない。黙ってなるままになっているのは、何かしら後ろめたいことを掻き消そうと自分を傷つけているのではないかと思った。
俺が考えている普通という範囲の中では、この行為はきっと普通ではない。これでは一方的に身を任せ、傷つけて欲しいと願っているだけだ。「もっと」という言葉の先には体を求めているのではなく、傷つけて欲しいと続いている様にも聞こえた。
 痛みは痛みだ。決してそれは気持ちのいいものではないだろう。証拠に今だって俺から距離を取り、一人壁に寄りかかりながら、痛みに耐えるように項垂れているじゃないか。
 あんなに近かったのに、行為が終わると他人と同じ様に距離を持ち、自分だけが辛い様な顔をする。痛みを与える俺がどんなに苦しいかなど知るわけもなく、そして知ろうとはしない様に、距離からは境界線がくっきりと見える。空間が違うように、同じ部屋が割れているみたいに感じた。
 そこから先輩を眺めている俺が平然を装っているのは、そうしなければ俺と先輩の関係はこれで終わってしまうと分かっているからだ。俺はいつ先輩から別れを告げられるか分からない状況にある。俺はきっと先輩の痛みを与える無数の一つなのでしかない。無数は先輩が痛みを求める為に捨てた数で、数を知る必要などないから無数である。
 だから俺が知っている先輩の一部はそれと同じ様に与えられているのだろう。汗ばんだ体の滑り心地がいいのも、「もっと」と求める艶のある声も、所詮それを知っているのは俺だけでは無い。

 俺は項垂れている先輩の手を引き、動物の様なキスをし、そしてまた同じ行為に及んだ。先輩からは鉄の様な血の匂いと煙草の匂いとそれに不似合いな甘い匂いがする。
 特別は秘密。特別は一人だけじゃない。
 ということが、俺の涙を誘い、格好悪く先輩の顔の横に顔を埋め静かに泣いた。
 泣いていることなどきっと知るわけもなく、先輩は鳴いて、俺を感じている。涙はシーツにぼんやり染み込んでいき、汗と紛れて気付くことはなかった。
「俺は先輩の…」
 特別だと、言う筈もなく今日も香りと俺を残して、いるべき場所に帰って行った。
 残された俺は時間と一緒に先輩の中に残ったのだろうか。部屋と外の暗さが同調した時、ああ俺の空間は繋がったと思った。心も全て暗い中、俺は先輩の特別という明かりを探す。だが見つけた明かりが齎すものは、時間によって消えていき、また暗さを呼び戻す。そうして、明日も明後日も、俺の一人よがりは終わることは無いのだろう。

 特別は秘密。特別は一人だけじゃない。特別は特別じゃない。



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